ミトメミノルを書いている人

2018年8月2日

 

いつも「イイ人」どまり。北陸在住の20代後半男性です。放デイと幼児塾を運営しており、テーマは「障がい児」「教育」「制度」「社会問題」など。フォローよろしくお願いします!

内部障害に悩んだ思春期。そしてそれをバネに、社会貢献できるようになった20数年です。おかげで若いながらも、経験は人一倍。人生観も人一倍。評価も人一倍してもらってます。

目次

テーマ

トリックスターになること。ちょっと痛い発言!と思っても読み進めてください。笑

トリックスターは神話で「2面性を併せ持ち、既成概念などを壊していく」キャラクターです。

「障害者はお涙頂戴のストーリーのなかにある」という既成概念や、「社会課題はボランティアだ」という既成概念を壊していく人生を歩むことで

死ぬときに「人生悔いなし!」と死んでいけたらいいなと思っています。

性格

いじられキャラ。子どもっぽい。夢いっぱい。大人と遊ぶより、子どもと遊ぶほうが楽しい。変なところでプライドたかめ。

育ちと経歴

幼少期

小さいころから生き物が大好き。一度自宅で「動物園」を開いたことがあります。動物は、カマキリ、バッタ、あと屋根裏にネズミがいると自宅前に看板だしてました。笑

お姉さんに可愛がられることが多く、自転車の乗り方は近所のお姉さんに教えてもらいました。近所のお姉さん、ぼくに気遣ってプラレールとか戦隊もので遊んでくれるんですが、

「ぼくはシルバニアファミリーとセーラームーンで遊びたい。。。」とずっと思っていました。

小学生

母親がADHD気味で、言うことがコロコロかわる。すぐに手を出す。そんな母親でした。

その時のぼくのテーマは「なんで15分前まで笑いあって今日は上機嫌だ!と思っていたのに、やかんが沸騰するように怒るのか」でした。

でもその割に教育熱心で、習い事や塾は過剰ともいえるほど行かせてもらってました。(まあ、本人無視で親の自己満足なのですが、、、)

小学生からハンドボールをはじめのめり込む毎日。とっても変わった子でよくいじめられたりしました。教育実習生の先生から実習後にもらう手紙にもいつも「優しい子」と書かれるほど優しい子だったのでいじめられやすかったのかも、、、

そんな僕でしたが、小学生の一番の思い出は、総合学習で通っていた老人ホームでのこと。おじいちゃんおばあちゃんが、いつも施設内にいてかわいそう。ということで、学校に呼んでおもてなしをしよう!と企画しました。

車いすは学校の階段を登れないから、、、やどこに車を止めたらバリアフリーなのかを考えに考えに考えて、解決策がパっ!!!と思い浮かんだときの快感は今でも忘れられません。その快感をまた得たいがために今でも「社会起業」に高い関心を持っています。

思春期

思春期はぼくの生まれ持った内部障害との闘いでした。ぼくは先天的に脳の下垂体に異常があり、ホルモンがうまく分泌されません。なのでスポーツやってるのにヒョロヒョロでいじめの対象でした。

ハンドボールをしたいがために強い高校を選びいったのですが、筋肉の発達が遅いため結果が出ず、毎日が悩みでした。「なんでこんな体にうまれたんやろ」というのは大学生までの課題でした。

高校時代の成績は190人中189番目。190番目の子は不登校だったので、実質最下位でした。笑 でも、自分と戦ってきたことが功を奏したのか、根性で勉強を頑張り、大学はMARCHの福祉学部に入学しました。

大学時代にも、自分の障害に悩み悩み悩み抜きました。夜中コンビニの帰りに、道端に座り、ずーっとそのことを考えていた日々を送っていましたが、ある日自然と「仕方がないか」とあきらめることができました。

なんで自分で障害受容ができたのかはわかりませんが、障害受容には悩みに悩む必要があるんだと思います。

また、バイトでお金をためて、在学中にオーストラリアに留学に行きました。世界を広めたい!ということで、地域の専門学校にいきました。子どもが好きだったので、保育士の課程に。ほどんどが女性でしたが、

謎の愛されキャラを発揮し、みんなと仲良く過ごせました。それまで学校のなかのコミュニティしかなかったので、「世界にはいろんな人がいる」というのは「自分は変わっていていいんだ」と思えるきっかけになりました。

 

障害分野での社会貢献

留学から帰ってきたあとは、周囲に無理に溶け込もうとしなくてもよくなり、自分を自然に出せるようになりました。 ぼくは留学前に知り合いの脳性まひを持っている子が描いた絵にひどく感動し、それが忘れられずにいました。

そんなことから障害に興味をもち、障害者の就労支援施設にボランティアに。そこでは「ろうそく詰め」をしていたのですが、障害のある人が詰めたろうそくを横で支援員の人が直すという光景を見ました。

「障害野ある人がまったく役に立っていないじゃないか」そんな思いと、脳性マヒの知り合いが描いた絵に感動した自分に、「もっとその能力を人の役に立たせられるんじゃないか」と思い始めました。

ぞこから、在学中にNPO団体を設立し、障害児にアートを通して自己肯定感を高める活動をし始めました。 仲間集めや助成金を得るためのプレゼンなど、自分で社会貢献のしくみを作っていく活動がとても楽しかったのを覚えています。

ぼくは自分の障害にトラウマがあったので、「なんでぼくだけ10万人に1人の障害があるんだ」を「ぼくは10万人に1人のことをするために生まれてきた」と勝手に解釈し、がんばっていました。笑

 社会人

社会人になると、障がい者の就労支援施設で働きはじめました。全国規模の会社だったので東北や広島で主に施設開設を主軸に働いていました。深夜まではたらくブラック企業でした。新卒で入ったはずが、上司みんな倒れていき、僕が施設の現場責任者になっていたほど。でもそこでは新卒では学べないたくさんのことを学ばせてもらい、今でもそれが生きています。

会社での活動を評価してもらい、子会社の社長候補になりました。でも、そこはブラック企業。会社からお金を借りて会社を設立しなければならないということで辞退。

その後は地方の中小企業に転職し、放課後等デイサービスと塾の運営に携っています。一時期は役員として働いていましたが、まだまだ実力が足りずに辞任。いまは現場の責任者として働いています。

また昨年、福祉の業界団体を設立し今は会長として、2足のわらじで頑張っています。

そんな僕の将来の夢は「社会課題」を「ビジネス」で解決すること。社会課題を視点をかえることでビジネスチャンスに変えていく。それによって、「課題」が課題でなくなる日がくると思っています。障害が障害出ない日がくると思います。

保有資格

・オーストラリアの保育士免許(日本でつかえない、、、笑)

・児童指導員
・特別支援教諭免許
・TOEIC800点台後半

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Posted by ミトメミノル